2018年4月3日火曜日

女の脳はかつてスポンジだった

欧米の白人たちの得意技は数百年来の「上から目線」というものである。
自分たちのことはさておき、自らを道徳的高みに置いて、やたらと他を
見下したがる。彼らから見ると有色人種というのはいつだって下目に見るべき
存在で、それこそ懇切丁寧に蒙を啓(ひら)いてやらないと必ずや道に迷って
しまう、などとご親切にもそう思ってくれている。

彼らの眼には「日本は男尊女卑の国」と映るらしい。
実態は「女尊男卑」の国なのだが、日本の国の成り立ちや
歴史に無知な彼らの眼には、いつまでたっても真実が見えない。
天照大神はもちろん女性で、『源氏物語』や『枕草子』を書いたのも女性、
現代でいえば、家庭の中で財布のヒモを握っているのはいつだって女性である。
たしかに社会的に見れば政界や経済界での女性進出が遅れているかもしれないが、
だからといって日本の女性たちが虐げられている、とは言えないだろう。
イヴはアダムの肋骨から造られた副産物、とする男性優位主義に骨がらみの
くせして、劣等?の有色人種に対してはやたらと説教を垂れたがる。
この無知と横柄さは彼らの数世紀にわたる痼疾(こしつ)とはいえ、
何と言おう、大きなお世話なのである。

以前、ブログの中で「鼻曲がり貴婦人」について書いた。
中世ヨーロッパの騎士たちの夫人は、揃って鼻が曲がっているという話だ。
レディファーストなどと女性を敬う精神はあくまで建前で、実際は力の強い
者が勝つという男性優位主義(machismo)が支配的だった。で、外面だけはいい
騎士たちが家に帰ると夫人を思いきりぶん殴っていた、という事実である。
「鼻曲がり貴婦人」という言葉はそんな状況の中から生まれ出た。
レディファースト? フン、笑わせやがる。騎士道精神が聞いて呆れるわ。

The Trouble with Women(問題だらけの女性たち)
(ジャッキー・フレミング著)という本を読んだ。19世紀、ヴィクトリア朝の
女性たちが、いかにバカバカしい迷信と固定観念に苦しめられていたか、
著者がユーモアあふれるイラストと気の利いた警句でなで斬りにする。

女性は頭がとても小さかったので、刺繍とクロッケー(運動競技のひとつ)
以外はうまくできなかった」
当時の女性は精神薄弱だったので、教育を必要としなかった。女性の脳は
小さいだけでなく柔らかい、スポンジのような軽い素材でできていた」
美術評論家のラスキンは、
女性の知能は発明や創造には向いていない。男性を讃えるのが天職だ」
と女性を小バカにすれば、哲学者のショーペンハウエルも、
(女性は)子供と本物の人間である大人との中間段階ってとこだね、やれやれ」
などと慨嘆している。こっちこそ〝やれやれ〟だ。

あのダーウィンもルソーもクーベルタン男爵も、
みんな女性たちを進化しきっていない下等動物みたいに見ていた。
女の脳はスポンジでできていた
なんて、ずいぶん失礼なコメントではないか。男だって女の股の間から
生れてきたくせに、19世紀ヨーロッパの男たちは多かれ少なかれ
女性に対してこんなふうに思っていたのは確かだろう。

そのさんざっぱら女性を足蹴にしてきた欧米の男たちが、
騎士道精神を気取ってわれら野蛮な有色人種にもっともらしく
説教を垂れる。日米の貿易摩擦が激しかった'90年代半ばに、
ニューヨーク・タイムズ紙が、
日本の女の仕事はお茶汲みとセックスだけ
と書けば、ワシントンポスト紙も負けずに、
日本では女に人権はない。だからセクハラは事件にならない
などと大嘘をつく。トランプ大統領がこの両紙を〝フェイクニュース〟
の代表と断じるのはもっともなことなのだ。

あの傲岸不遜な白人どものへらず口をどうやって封じるか。
ボクはそのことに熱中すると、心がいつだって浮き立ってくる。
欧米のマッチョな野郎どもよ、スポンジ頭は女の専売特許ではないのだよ。
君たちの脳ミソを見たまえ。スポンジよりましかどうかは知らないが、
マッチョな筋肉そのものでガッチガチに固まってるではないか。













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