2018年3月28日水曜日

自分のことは棚に上げ

たばこは48の時にやめた。
初めて喫ったのが18歳の時だから、30年間喫っていたことになる。
本数は日に10本くらい。それほどのヘビースモーカーではなかった。

一時、粋がって両切りのピースを好んで喫っていた時期があったが、
大半はセブンスターやマイルドセブンといった〝軟弱〟な銘柄だった。
たばこと同時にパイプもやっていた。気分転換用で、原稿に行き詰まったり
するとバルコニーに出てプカプカふかした。さぞ近所迷惑だったことだろう。

たばこをやめたきっかけは、歯を磨いているときなどに襲ってくる嘔吐感だった。
(そろそろ潮時かもしれないな……)
その日を機に、キッパリとやめた。禁煙は難しい、などとよく言われるが、
ボクの場合は何の問題もなく、禁断症状も出なかった。
ああ喫いたいなァ、などとは一度も思わなかった。むしろ、
(おれは何であんなものを30年間も喫っていたんだろ)
という悔悟の念のほうが大きかった。

勝手なもので、最近はたばこのニオイを嗅ぐだけで気分が悪くなる。
歩きたばこをしている人を時々見かけるが、すれ違う時に無意識に
鼻を覆っている自分がいる。かつては周囲への迷惑を省みず、
あれほどスパスパやっていたのに、何という変わりよう。
人間(自分だけか?)というのはずいぶん勝手な生き物だな、とつくづく思う。

レストランなどでも傍若無人にたばこをふかしている人がいるが、
はた迷惑もいいところ。食事をしているわずかな時間さえもガマン
できないのか、とその意志力の欠如に怒りさえ覚える。

たばこを吸うのは個人の自由だからいい。ただし人のいない所でやってくれ。
歩きたばこなど論外で、ポイ捨てした人間は即逮捕したほうがいい、とまあ、
勝手な理屈をこねているが、昔のボクだったらいったい何度逮捕されたことか。

近頃は受動喫煙の害について盛んに言われているせいか、たばこ飲みは
肩身が狭いのだろう、どことなくオドオドしたそぶりを見せている。
(こいつ、まだたばこなんか喫ってるのか。薄志弱行の野蛮人め!)
などとする周囲の非難がましい視線に堪えられなくなっているのだ。

実際、受動喫煙の害を本気で受け止めている企業や役所も出てきている。
奈良の生駒市役所は「喫煙後、45分間経った人でないとエレベーターに乗れない
というルールを作った。専門家に言わせると、喫煙後45分間は、
喫煙者の肺から有害物質が出続けているのだという。

そんな風潮の一方で、コンビニの駐車場の近くで、もとヤンキーっぽい
茶髪のヤングママが、幼児の前でウンコ座りしながらスパスパやっていた。
この調子で家の中でも喫っているとしたら、こどもたちの肺はいったい
どうなってしまうのだろう。他人事ながら心配になる。悲しいかな子は
親を選べない。こどもの健康より自分の欲望を優先する未熟な母親は
いっぱいいる。母親がこんなふうなら父親も似たようなものだろう。
そして祖父母も。

♪ 初めて試したタバコがショート・ピース。
  親爺のマネして気取ってちょっとポーズ
  たちまち目まいでクラクラめしも喰えず
  学生服のポケットにそっとかくす
  弁当が済んだらトイレでちょっとふかす。
  ヤニっこ取るため歯ブラシゴシゴシ

懐かしい『スモーキン’ブギ』の一節。
歌詞にあるような、こんなおバカな時代がボクにもありましたな。
酒とたばこは男の通過儀礼でもあるのでしょうか。
でも、たばこだけはもうコリゴリ。酒はもう少し続けます。




















2018年3月17日土曜日

カフェ・ド・ランブルの関口一郎氏逝く

去る14日、銀座「カフェ・ド・ランブル」の店主・関口一郎さんが亡くなられた。
享年103。大往生と言えばまことにそうなのだが、遺族の思いに寄り添えば、
とてもそんなことは言えない。ただ100歳を超えても矍鑠(かくしゃく)としていた、
という事実を鑑みれば、げに関口一郎畏るべし、とはいえるのではないか。

関口さんは拙著『コーヒーに憑かれた男たち』(中公文庫)の中に
出てくる「コーヒー御三家」のひとりである。一番年若だった吉祥寺
「もか」の標交紀氏はすでに物故していて('07年)、最長老の関口さんが
彼のあとを追うことになった。南千住「カフェ・バッハ」の田口護氏は
とうとう置いてけぼりだ。櫛の歯が欠けるように、親しかったものが
次々と逝ってしまうのはまことに悲しく淋しい。田口氏にはお二人の分まで
せいぜい長生きしてもらいたい。

ランブルにはよく通った。
カウンターには座らず、入口付近にしつらえてあった関口さんの
隠居部屋みたいな特別席(ボクは「イチローコーナー」と勝手に呼んでいる)
に図々しく座らせてもらった。20代のまだ新米記者だったころから
のおつき合いなので、気心も知れ、軽口ばかりたたき合っていた。
歳は37も離れているのに、関口マスターは「嶋中君、嶋中君」と
可愛がってくれ、いつだって気さくに口をきいてくれた。

関口さんには何冊か著作があるが、
珈琲辛口談義』と『銀座で珈琲50年』(共にいなほ書房)の
2冊はボクが聞き書きして本にしたものだ。

関口さんは生涯独身を貫いた。
愛人がいたという噂がないわけではないが、
「コーヒーに忙しくて、女にかまけてるヒマなんかなかったんだよ」
というのが本当のところだろう。いや、独身を通したからこそ
100歳の長寿を全うできたのではないか、とボクは思っている。
あるいは関口さんが口ぐせのように言っていた「長寿の秘訣はコーヒー」
なのかもしれない。あなたも100歳まで生きたかったら、生涯独身を通し、
オールドコーヒーを飲み続けることだ。これが関口さんの残した教訓その一(笑)。
実際、女に投じるカネと時間と精力はバカにできないものね(シミジミ納得)
あれで寿命がどれだけ縮むことか(世の女性たちよ、心から🙇ゴメンナサイ……

晩年、ランブルを仕切る甥っ子・林不二彦氏のもとに身を寄せた関口さん。
江東区森下のご自宅を二度ほど訪ねたことがある。2階にある関口さんの
部屋は20畳ほどの広さで、扉を開けた瞬間、何と言おう、パンドラの箱を
開けてしまったみたいなショッキングな光景が目に飛び込んできた。
そこにはビーカーやら試験管やらさまざまな実験器具が散乱していて、
足の踏み場もないのだ。大森の一軒家に独り住まいしているときも、
蜘蛛の巣が散見される部屋を見て、灰神楽が立ったようなすさまじさを
感じたものだが、こっちの部屋だって負けてはいない。

そんなボクの穏やかならざる心中を察したのか、関口さんは
飄々としながらも気を遣ってくれて、
「嶋中君、なにか食べますか?」
などと声をかけてくれた。言うなりいきなり冷蔵庫を開けたのだが、
庫内には試作中の菓子やらケーキがどっさり。色目を見ると、
いつ作ったのか判然としない、失礼ながら腹を下しそうなものが
いっぱいありそうだったので(笑)、
「いや、おかまいなく。先ほど遅い昼食を済ませたばかりなので……」
となんとかごまかした。

銀座のランブルは有名人たちの溜まり場だった。
川端康成に永井荷風、市川紅梅に水谷八重子、勘三郎に白洲正子と豪華絢爛。
ある時、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがひょっこり顔を見せたが、
あいにくの満席。ジョンのジョの字も知らない竜子ママさん(関口の妹)は、
「ご覧のようにいっぱいなのよ、悪いわね……」
とあっさり断ってしまった。カウンターで働いていた若いスタッフたちは
心底ガッカリしたという。

哲学者の谷川徹三(詩人・谷川俊太郎の父)もよく来た。
「うちの女房、近頃とんとボケちゃってね、トイレに入っても
アレを流すの忘れちゃうんだ。で、いつもほっこりした立派な
オブジェが便器の上に鎮座ましましてる(笑)」
 こう言って関口以下スタッフを笑わせるのだが、
当の本人がトイレから戻った後に便器をのぞくと、
小便が流していなかったりする(笑)。

銀座8丁目、新橋方面に向かって中央通りから一筋左に入ったところに
珈琲だけの店「カフェ・ド・ランブル」はある。昭和レトロの趣を湛えた、
無愛想なほど飾り気のない小さな珈琲店である。名物店主を失ってしまった
あの〝イチローコーナー〟はこの先どうなってしまうのだろう。
淋しさに堪えない。

ここに改めてコーヒー業界の〝巨星〟関口一郎氏のご冥福をお祈りする。
心からの合掌。


←左端のボクの隣が関口さん。
『コーヒーに憑かれた男たち』
に登場する「コーヒー御三家」
の勢揃いだ。


2018年3月7日水曜日

凡夫こそがホトケになれる

8キロ相当のダンベルを背負い、両くるぶしには2キロずつのウエイト。
いつものように三浦雄一郎を気取って散歩していると、ひとりの小柄な
おばあさんが向こうからヨロヨロと歩いてくる。見ると、数メートル歩いたら
立ち止まり、また数メートル歩くと立ち止まって小休止。風の強い日だから、
危なっかしくて見てられない。

「大丈夫ですか? 手をお貸ししましょうか?」
「いや大丈夫です、ハイ……ご親切にどうも」
「転ばないように気をつけてくださいね」
おばあさんは深々とお辞儀をすると、またヨロヨロと歩いていった。

近頃、齢のせいでヤキが回ったのか、やけに心優しくなってきている。
小さな子を見ただけで涙ぐみ、年寄りを見ると背中をさすってあげたくなる。
人妻たちにはハグの報謝をし、ベランダに来る雀たちにはお米をまいている。
以前の欲深なボクなら「雀のお宿」で大きなつづらをお礼にもらうのを夢見て
いたものだが、近頃は物欲も性欲もなくなったせいか、雀たちがただただ愛しい。
もしも宮沢賢治を気取るなら、こんな感じだろうか。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハマダマダアルケレド
決シテソレヲミセズ
イツモヘラヘラワラッテヰル
一日ニ玄米四合ナラヌ
美酒美食美女トイフ煩悩ニ溺レ
アラユルコトヲ
ジブンダケヲ勘定ニ入レ
ヨクミキキシワカリ
ソシテスグワスレ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
〝和光のビバリーヒルズ〟ト呼バレル団地ニ住ミ
東ニ病気ノムスメガアレバ
行ッテ添え寝シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテ〝ヨッコラショ!〟と背負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテモウスグ楽ニナルカラネ、トイヒ
北ニケンカヤ訴訟ガアレバ
勝ツマデガンバレ、トハゲマシ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニ〝木偶ノボー〟トヨバレ
褒メラレモセズ
苦ニモサレズ
サウイフモノニ
モウワタシハナッテマス

もしかするとボクは、知らぬ間に究極の悟りを開き、
即身成仏〟しているのかもしれない。
なんだかホトケ様になったような気がしてならないのだ。

「ケガやら何やらで気弱になり、免疫性が落ちてるだけじゃないの?」
心ない人はそんなふうに思い「ふるさとへ廻る六部の気の弱り」などと
思いきり茶化すかもしれない。でもね、どうも免疫性などという俗っぽい
ものではないような気がするのだ。

平昌オリンピックの日本人選手たちが流した清らかな涙に刺激されたのか、
無垢で清らかな心を持つ「サウイフモノ」にどんどん近づいているような
気がする。日々、即身成仏への途をまっしぐら、という感じなのだ。

法華経ではボクのような凡夫匹夫こそがホトケという最高の人間性を
(あらわ)し得る、というようなことを説いている。
凡夫即仏」というのだそうだ。親鸞の説いた「賢人(善人じゃない?
尚もて往生をとぐいわんや凡人(悪人でしょ?)をや」と同じような理屈か。
これをボクは「凡人正機説」と名づけている(笑)。いずれにしても、
♪あ~りがたや、ありがたや~、あっソレ、あ~りがたや、ありがたや。
南無……




2018年3月3日土曜日

荷やっかいな隣人たち

日本国政府が竹島を島根県に編入したのは明治38年(1905年)だ。
当時、竹島周辺の海は豊かな漁場で、江戸の昔から山陰地方の漁民が盛んに
出漁していた。そのことを示す文献資料は日本にはいくらでもあるが、
Koreaには「独島」の資料がまったくない。

竹島を日本の領土とする、と政府が閣議決定し、編入公布した時、
当時のKoreaは李氏朝鮮。韓流の歴史ドラマでは絢爛豪華な絵巻物みたいな時代
として描かれているが、実際は「文明のかけらもない古代国家そのものだった」
と歴史家たちからクソ味噌に言われている。それでも一応は独立国だった
李氏朝鮮が、竹島の日本国領土編入に対しては何の異議も唱えなかった。

さて、戦後、連合国は日本の獲得した領土をすべて放棄するよう求めた。
結果、日本は台湾や樺太の領有権を放棄した。この時のどさくさにまぎれ、
Korea側はいきなり、
「竹島は自国領土だから日本に領有権を放棄させるよう命じてくれ」
と連合国側に要請した。が、詳しく調査した結果、連合国はKoreaの要請を拒否、
竹島を日本固有の領土と認定した。竹島がKoreaの領土だったという資料が
何ひとつないのだから当然だろう。

ところが数年後の昭和27年1月(1952年)、Koreaの李承晩首相は日本海の
公海上に勝手に線を引き、そのラインのKorea側を自国の領海としてしまった。
支那が〝九段線〟と称して南シナ海に勝手に線引きし、「自国の領海だ!」
とめちゃくちゃ言っているのとまったく同じ論法である。

実は同じ年の4月にはサンフランシスコ講和条約が発効し、7年にわたった
連合国の占領から日本は主権を回復する。そのことを事前に知った李承晩は、
日本の占領が解かれないうちに自国領土を拡げようと一方的に線引きして
しまった。火事場泥棒まがいのこの暴挙は明らかな国際法違反である。
赦せないのは、この時竹島周辺で漁をしていた日本の漁船328隻をむりやり拿捕、
釜山港まで連行し漁師3929人を拘束したことだ。

漁民たちは残虐な拷問を加えられ、あまつさえ自白まで強要された。
不潔極まる雑居房に押し込められた漁民たちは、カビの生えた麦飯などを
与えられ、栄養失調で餓死するものまで出た。夫を拉致された家族の中には、
精神を病み自殺する妻もいた。この文明国にあるまじき人権無視の拉致によって、
「李承晩ライン」が廃止されるまでの13年間で漁民44人が死傷している。
Koreaはこのことについて一言も謝罪していない。

「李ライン」と呼ばれたこの線は、法的根拠など何もなく、
まったくの自分勝手に設定した排他的経済水域で、
竹島は運わるく李ラインのKorea側にあったため、
不法にもKoreaに占拠され、いまも実効支配されている。

先述したように「李ライン」は国際的には認められず解消されたが、
Koreaは武力でもって不法占拠を解かず、今日に至っている。

日ソ不可侵条約を勝手に破り、北方四島を不法占拠しているロシア、
法的根拠もないのに尖閣諸島を自分のものだ、と主張している支那。
そして竹島を勝手に分捕り、「独島」などと称して実効支配している
Korea。この隣国たちは国際法や歴史的事実、慣習さえも無視して
武力により他国の領土を切り取ってしまう。こういう無法行為を
一般に〝帝国主義〟と呼ぶのだが、われらが隣人たちはそのことを棚に上げ、
何かというと日本の現政権を〝軍国主義〟などと誹謗するのである。

この荷厄介な隣国とこの先どう付き合ったらいいだろうか?
最良の選択肢は、向後一切つき合わないこと。
とりわけKoreaとはいっさい関わり合いをもたず、
経済断交するのが一番いい。歴史的に見て、朝鮮半島に関わって
良いことなど一つもなかった。
あのウソで固めた半島には「災い」の一文字しかない。