2018年1月23日火曜日

元の人間(XX)に返りたい

日本はゲイやオカマの天国だ。
昔は世間の片隅でジッと息をひそめていたのに、
いまや堂々と「あたしLGBT(性的少数者)なんです」
とカミングアウトするようになった。世間もあまり驚かなくなり、
むしろ面白がるようになった。多様性を認める社会になった、
といえば聞こえがいいが、あいにく身近にゲイやおネエ系がいないので、
あまり実感がわかない。

一方、テレビをつければ〝おネエ系〟タレントのオンパレードだ。
ボクらはカルーセル麻紀やおすぎ&ピーコの世代だが、最近は、
IKKOを初めはるな愛やマツコ・デラックスなどが文字どおり幅を利かせている。
体重140㎏のマツコなどは〝おネエ系の新皇帝〟などと呼ばれているらしい。

動物行動学の竹内久美子によると、お腹の赤ちゃんは最初はみな女なのだという。
人間の染色体は46個からできていて、その中にXとYという性に関係する遺伝子
がある。女はXXで男はXY。赤ちゃんは最初、すべて女なのだが、その中で、
男候補のYという遺伝子がandrogenという男性ホルモンを盛んに放出する。
その時期が妊娠3ヵ月あたりで、このホルモンが睾丸などの臓器を作り、
ホルモンを身体の隅々まで行きわたらせていく。すると次第に男っぽい身体つき
になり、脳髄もまた「ボクは男だ」と思い込むようになる。

ところがそんな大事な時期に、母体が「空襲」だとか「飢餓」といった
強いストレスを受けると、胎児のandrogen放出にも異変が起きる。
男性ホルモンが時に脳まで行きわたらなくなってしまうのだ。結果どうなる?
身体つきは男でも脳は女のまま、という子供が生まれ出てしまう。
つまりTransjender(性同一性障害者)の誕生というわけだ。

実際に東ドイツで追跡調査をした結果、先の大戦前後20年間に生まれた子供の中に、
同性愛者が多いという結果が出たらしい。androgenを浴びるべき時期に、
連合軍の爆撃にさらされ、野蛮なソ連兵に追いかけまわされる――その強烈な
ストレスが胎児に影響を与えた、というわけなのである。

日本にももちろんそういう時期があった。
この説が本当なら、団塊の世代ダンコンと読む場合もある)はモロ怪しい。
うちの団地(約1600世帯)なんか入居者のほとんどがダンコンの世代だから、
ひと皮むけば嬉しや「オカマの巣窟」なのかもしれない。

実のところ、ボクは団塊の世代が好きではない。
知り合いのF氏は元全共闘のメンバーで、酒を飲むと、
「機動隊とゲバ棒で渡り合った」という武勇伝を〝一つ話〟のように披露する。
彼らにとっては'70年安保闘争という名の〝革命ごっこ〟が生涯の自慢なのだ。

また団塊の世代は朝日新聞と日教組の申し子でもあるから、
「日本が悪い」という自虐史観でガチガチに凝り固まっている。
そういえば東大出の加藤登紀子というタレ目の歌手などは、
日本と聞くと腐臭がしますの」と言ってたっけ。
そんなに嫌いなら日本から出ていけばいいのに、いっこうにその気配はない。
バカにつける薬はないのである。

もともと人間は女なのだから、なかには元に戻ろうとする〝女返り〟の傾向が
強い者がいる。女という原形から男に変わっていくのだから、駆動力が弱いと
つい女に先祖帰りしてしまう。生物学的には容易に成立する理論なのだそうだ。

ボクはあいにくXY染色体をもつ男だが、齢60を過ぎた頃から、
〝もと人間〟である女に戻りたいという衝動に駆られるのか、
細胞が徐々に〝オバサン化〟してきているような気がする。
オバサン化しちゃったほうが生きやすいというか、気分的に楽なのである。

というわけで、団塊の世代とは政治的な立場を大いに異にするが、
艶っぽい〝そっちの世界〟では仲良くできるかもしれない。
バカとオカマは遣い様なのだ。



←トランプは軍隊からオカマを追放せよ、
とする立場





2018年1月8日月曜日

オンナは愛嬌、オトコも愛嬌

鈴木亮平ファンのわが女房は、NHKドラマの『西郷(せご)どん』を心から
楽しみにしている。日本人は茫洋としていて度量の大きな西郷隆盛と坂本龍馬が
大好きだ。が、ハーバード大学の日本史教室では、どちらかというと冷徹な
大久保利通や木戸孝允のほうが高く評価されているという。

俗に維新三傑は「情の西郷隆盛」「意の大久保利通」「知の木戸孝允」と呼ばれる
が、日本の近代化に最も貢献したのは大久保と木戸とされている。この二人が
政治家として圧倒的に優れていた点は正直で清貧だったこと。木戸が死んだときは、
財産が一銭も残っておらず、大久保にいたっては残された家族が葬儀費用も払えな
かったという。ひたすら蓄財に励む、どこかの国(Chineseの国?)の政治家どもに
爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものである。

「漢(おとこ)は愛嬌こそ大事」
西郷はいつもそう思っていた。無欲と至誠から滲み出る分泌液が〝愛嬌〟の
本質だった。これは一種の風土性といえるものかもしれないが、薩摩人には
「冷酷」を甚だしく憎むところがある。すべてに対して〝心優しい〟というのが
薩摩男児の性根を形作っているらしい。換言すれば、「さわやかな人格である」
というのが薩摩武士の誉れなのである。

薩摩藩には「郷中(ごじゅう)教育」というものがあった。
いわゆる「二才頭(にせがしら)」というグループリーダーがいて、
年下の「小稚児(こちご)」や「長稚児(おせちご)」に対して、
折をみては〝真の武士の生き方〟を訓示するのである。

たとえばそれは「負けるな」「ウソをつくな」「弱いものをいじめるな」
といったことどもである。会津藩にも似たような「什(じゅう)の掟」という
ものがあった。例の「ならぬことはならぬものです」で知られる訓戒事項だ。

西郷どんは弱い者いじめがきらいだった。
「二才頭」だった西郷は卑怯・卑劣を何より憎んだ。
そして会得したものが「己を愛するなかれ!」という「無私」の境地だった。
自分を愛することがなければ物事がよく見えてくる。
西郷は「無私こそが人を動かす」と考えた。

ボクも西郷に劣らず〝イジメ〟がきらいだ。
なぜきらいかというと、皆で寄ってたかって一人の人間を攻撃するからである。
およそケンカというものは〝1対1〟でやるべきものなのに、徒党を組んで
弱そうなやつをやっつける。これほど卑怯・卑劣なことがあろうか。
西郷のめざすところの「さわやかな人格」に最も遠いところにある。
ボクは生来、〝徒党を組む〟〝人と群れる〟という行為を憎んでいて、
生理的に受けつけないというか蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。

人類創生以来、いやこの世に生きとし生ける物がある限り、
「イジメ」はなくならない。イジメによる自殺が起きるたびに、
「いじめをなくしましょう」という言葉が交通標語のように唱えられるが、
悲しいかな鴻毛のごとく虚しく宙を舞うだけで、だれの心にも響かない。

イジメは決してなくならない。
であるならば、いじめをなくすことより、いじめられても傷つかない
強い心を養うことのほうが大切だろう。いじめがいけないのではない。
いじめに負けてしまう弱い心、耐性のなさが問題なのである。
〝古(いにしえ)の道を聞きても唱へても 我が行(おこなひ)にせずば甲斐なし〟
郷中の規範となった〝いろは歌〟を心底噛みしめるべきだろう。

さて話変わって『茶の本』で知られる岡倉天心。
岡倉にはアメリカでは着物を着、日本では洋服を着る、というこだわりがあった。
ある時、弟子たちと一緒にボストンの街を歩いていると、
若いアメリカ人がこんなふうに日本人の一行をからかった。

"What sort of nese are you people ?
Are you Chinese , or Japanese , or Javanese ?"
(お前たちは何ニーズ? 中国人? それとも日本人? ジャワ人?)

岡倉は得たりとばかりニヤリと笑って、こうやり返したという。
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you?
Are you a Yankee , or a donkey or a monkey ?"
(私たちは日本の紳士です。あなたこそ何キーでしょうか?
アメリカ人? それともロバ? 猿?)

岡倉は福井藩出身の武家で、日本男児としての誇りを生涯失うことはなかった。
冷やかしやからかいを英語のジョークで切り返す――それだけの英語力と
機転のよさを有する政治家が、果たして今日の日本にいるかどうか。
ボクなんかクソ生意気な中国の王毅外相に対して、完膚なきまでやっつけて
やりたいのだが、いかんせん肝心の英語力と機知がない。
明治期の日本人の教養と気概はホンマにすごかった。






←岡倉覚三(天心)。写真は仏頂面だが、
愛嬌はあった。

2018年1月2日火曜日

オメデタ男の年頭雑感

新年明けましておめでとうございます。
本年も変わらずお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

さて、ふり返ってみれば、昨年はひどい年でした。
3月に初孫を授かり、お嬢吉三みたいに「こいつァ、春から縁起がいいわえ」
と舞い上がり、夏季はフランス人留学生をあずかって、刺激のない生活に活を
入れたものですが、秋風が吹くころから身体の一部が変調をきたしてきました。
右腕の上げ下げ、曲げ伸ばしがまったくできなくなってしまったのです。

それから病院通いが始まり整形外科、神経外科などで徹底検査。
出てきた病名が「頸椎症性筋萎縮症」と「腕神経叢(そう)ひきぬき損傷」の
二つでした。どちらも手術が必要で、医師曰く「難物」だと。

ボクはすでに膝がいかれていて、走ることができません。
そのため水泳で身体を鍛え、ムキムキの筋肉を誇っていたのですが、
その水泳もダメで、できるのはわずかに水中ウォーキングだけとなると、
生きている甲斐がありません。

ただでさえ加齢による油切れで、身体のあちこちが悲鳴を上げ、
大事なところも生殖機能がほぼ失われ(河岸をかえれば復活するという説も……)
いまや泌尿器機能一本やりとなれば、
   
     裾野よりふりさけ見たる富士の山 
          甲斐(嗅い)で見るより駿河(するが)第一

とはいかなくなって、これまた生きている甲斐がないのです。

話変わって、暮れに娘たちの幼かった頃のビデオを見返してみました。
正確にはビデオではなくDVD。大量にあったビデオテープを大枚はたいてDVDに
ダビングしてもらったのです。デジタル録画にしておけば、少なくとも経年劣化は
防げます。

保育園の頃の学芸会やら運動会の映像を見て、再び三度夫婦で大笑いしていた
のですが、その笑いの元のヨチヨチ歩きの娘が、昨春男児を産み、
今や堂々たるお母さんであります。見れば娘たちを応援しているボクや女房も、
当たり前の話ですが、めっちゃくちゃ若い。髪は黒々、肌もつやつやしていて、
動きまでもが俊敏です。

これはノロケですが、30年前の女房の、なんとまァ可愛いらしいこと(笑)。
(ああ、おれはこんな可愛い女に惚れたのか……)
自らの審美眼の正しさに安心したり、悦に入ったり……。

今日は次女夫婦と孫も来て、家族全員が揃います。
みんなで初詣に出かけ、全員の無病息災を祈るつもりであります。
可愛い女房と可愛い娘たち、そしてカッワイ~イ初孫に頼もしい娘婿……
腕一本が利かないからといって贅沢を言ってられる身分ではありません。

かの久米の仙人だって洗濯女の脛(はぎ)の白きを見て通力を失ったといいます。
河岸など変えずとも、心がけ一つでFunctional Age(機能年齢)は延びそうです。
『徒然草』(第八段)にもこうあります。

     世の人の心まどはすこと、色欲にはしかず。
                人の心はおろかなるものかな。

読者諸賢にありましても、Functional Ageをかぎりなく延ばされんことを祈念し、
年頭雑感とさせていただきます。お後が宜しいようで。






←10年ほど前の勇姿。大学後輩のドラマーは
現在プロで活躍。













←バンド名『Flying Fossils』
(空飛ぶ化石)の頃の熱唱。
この時代が最強メンバーか。