2017年4月27日木曜日

忖度することの損得

「そのうち一杯やりましょう」
と誘っておきながら、何の音沙汰もない人がいる。
本人にしてみれば単なる社交辞令のつもりなのかもしれないが、
言われたほうは少しは期待してしまう。

ボクはこの手のおべんちゃらというか社交辞令の達人を好まない。
ためしに、
「それはいい、じゃあいつにしましょうか?」
と畳みかけてやると、困ったような顔をする。
口から出まかせで、その気もないのに気のあるような
ポーズをとるからそうなる。
《困るのなら最初から言うなよ》というのがボクの正直な気持ちである。

ボクは〝自己チュー〟の自分勝手という性格もあるが、
思いついたらすぐ行動に移す。今夕はあいつと飲みたい、
と思ったら、すぐメールしたり電話する。その時、相手の都合は考えていない。
もちろん「ごめん、今夜は予定がつまってる」という反応は想定内だから、
相手を責めたりはしない。ボクの身勝手な思いつきということは重々承知している。

ボクは今現在の瞬間を大事にする人間で、
かなり刹那主義的な生き方をしているので、
「来月の2週目の○曜日なら空いてるけど……」
といわれてもピンとこない。会いたいのは今日ただいまなのだから、
そんな先のことを言われても困るし分からない。却って心の負担になってしまう。
またへたをすりゃ、その頃にはもう死んじゃっているかもしれない。

「飲もうぜ」と誘って「よしやろう!」と、打てば響くように
反応してくれる友が一番ありがたい。意気に感ずるというか、
互いの〝熱〟がつまらぬ〝忖度(そんたく)〟など吹き飛ばしてくれる。

相手の心中を推し量ってばかりいると、
いざというときに動けない。ボクなんか瞬発力だけで生きているから、
〝忖度〟は最小限にとどめている。世間は今、忖度ばやりのようだが、
忖度中毒になると、お互い金縛りにあったみたいになって言動が制限され、
硬くこわばってしまう。忖度にも〝いい加減〟が必要なのだ。

一見、人を食ったようなボクの図々しい性格はどこから来ているのだろう?
一つは母親からの遺伝だ。母は太っ腹で大胆不敵。親分肌の社交的な女で、
性格は大らかというか、ひどく大雑把。肝っ玉母さんの典型だった。

もう一つは長い記者生活からだろう。40年以上もジャーナリストをやっていると、
それこそ多種多様な人と会う。会うたびに面の皮が数ミリずつ厚くなる。
高飛車な人もいるし、卑屈な人もいる。もちろんバカもいれば利巧もいる。
いろいろなタイプの人間を知ってしまうと、ひと目で、
「ああ、この人はAタイプだな。この人は癖のあるDタイプか」
などとクラスター分けができるようになる。
そうしておくと相手との〝適正距離感〟が保て、余計なストレスがたまらない。

それともう一つは小林秀雄や山本夏彦、福田恆存といった名うての曲者を
師匠に仰いだ、ということだろうか。師匠たちに比べれば、どんな大物も
小物に見えてしまう。また師匠たちは揃って「人間通」でもあった。
彼らは人間のすばらしさと愚かさを表裏ともどもに語ってくれた。
いつだって「複眼思考」が基にあった。

思うに、「そのうち一杯やりましょう」などと、
その気もないのにおべんちゃらを言う人間は、
ただの「単眼思考」の八方美人で、人間としての底は浅いのだろう。
つき合っても得るところは少ないだろうから、
思い切ってスパッと切るに如くはない。

というわけで、今夜は孫の寝顔でも見ながら、独りエールでも飲むことにする。





←この漢字の読みも意味も知らなかった
人は意外に多かったのでは? 
森友学園のおかげで、ひとつ利口になったね。
まずはヨカッタ、ヨカッタ。



2017年4月19日水曜日

リベラル派大っきらい!

概してインテリほどリベラリストを気取りたがるようだ。
ではそのリベラル(liberal)とはいったい何か? 
トランプ政権が誕生したアメリカでは、「反トランプ」を掲げる各種メディアを
揶揄しているのか、「リベラル=おバカさん」という意味合いまで生じてきている。
で、辞書を引くと、
「自由な、寛大な、気前のよい、進歩的な」などとのんきなことが書いてある。
この伝でいけば、ボクなんか典型的なリベラル派だろう。

ところが現代の、それも日本のリベラル派という奴は、ちょっと趣を異にしている。
ボクの師匠の名コラムニスト・山本夏彦は、
《(リベラル派とは)何かというと反体制や反権力を気取りたがる薄っぺらな人たち
口先だけで革新や改革を唱えているエセ良心的な偽善グループ》というふうに揶揄して
いた。

あるいは、
《崩壊した社会主義に、今もって心情的に同調している〝喪家の狗〟たち》
とも言った。平たく言っちまえば、いつだって弱者の味方を気取りたがる
〝ええかっこしぃ〟の連中ということか。

あなたの身の周りにこんな輩はいませんか?
ボクの周りには残念ながら佃煮にするくらいウジャウジャいます。
そのほとんどが全共闘世代と呼ばれる〝団塊の世代〟である。
GHQの洗脳にさらされ、日教組教育の申し子みたいな世代だから、
朝日新聞をこよなく愛し、それがために〝反体制〟が習い性になってしまっている。
おまけにそれが彼ら自慢のファッションでもあるのだから、ますます救われない。

この夢見がちの世代は「国民」という言葉をきらい「市民」と言いたがる。
「市民活動家」と称する連中は、みなこの手の〝喪家の狗〟と思って間違いはない。
国民と市民の違いは何か? 国境の観念があるかないかである。
市民派には国境がなく、人種を超え、民族を超え、全人類が仲良く交わる。
これが市民派の思い描く美しき「平和のイメージ」だ。

なんだか桃源郷のような別天地に思えてしまうが、
このような美しき仙郷が、かつてこの地球上に存在したことがあっただろうか。
過去にも現在にもそんな夢みたいな理想郷は存在しなかったし、
これからも存在することはないだろう。

だからアメリカでloopy(愚か者)と呼ばれた鳩山由紀夫みたいな
似非リベラリストがしゃしゃり出て、
《日本の国土は日本人だけのものではない》←じゃあ、誰のものなんだよ!
などと発言し、餓狼のような支那人や朝鮮人を喜ばせてしまう。

来日している米国のペンス副大統領は、北朝鮮を威嚇しつつこう断言した。
Peace only comes through strength. 
平和は力によってのみ達成される》と。

ただべんべんと馬齢(鳩齢か?)を重ねてきたloopy鳩山は、
歴史からも人生からも何ひとつ学んでいないようだが、
少なくともアメリカの副大統領がおバカな夢想家でない
ことだけはハッキリした。

ボクは心情的にはリベラル派だが、同時に徹頭徹尾保守のリアリストでもある。
「理想」は人並みに持ってはいるが、「理想主義」なるものは極力排している。
つまり透徹したリアリズムこそが真実への近道だと固く信じている。

世界政治は理想主義から最も遠いところにあり、実体は「食うか食われるか」
パワー・ポリティクスによって動かされている
それが冷厳なる事実で、その程度のことは少しでも歴史を学べばわかることだ。
ここでもう一度以下の言葉を繰り返そう。オットー・ビスマルクの言葉だ。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ》と。

悲しいけれど人間は愚かな動物で、性悪でもある。
目を離すと何をするかわからない。
リベラル派はのんきに〝性善説〟を信じているが、
リアリストは〝性悪説〟しか信じない。

そして悲しいことだが、世界は〝性悪説〟で満ち満ち、
〝性悪説〟によって成り立っている。動物の世界と同じで、
隙を見せたらおしまい。弱肉強食が世の常なのだ。
そこのところが、リベラリストを標榜するお人好したちにはわからない。
その証拠に、彼らはいつだって判断を過つ。
正しい歴史観と世界観を持っていないからだ。
いや、もっと言うなら、正しい人間観を有していない。

純粋な数学以外はすべて〝文学〟だ、と某著名人が言っていたが、
リベラリストに欠けているのは、人間学の宝庫ともいえる豊かな文学の素養である。
もっと勉強したほうがいい。


←強さは平和を保ち、弱さは侵略を招く、
と故レーガン元大統領。








さて、これは蛇足で恐縮なのだが、その用心深いボクが、明日20日(木)、
都内の地下鉄主要駅に配布される『メトロ・ミニッツ』というフリーマガジン
に愚かにも若づくりしたカッコウで登場する。御用とお急ぎでない方は、
冷やかしでもけっこうです、ぜひ手に取ってくださいな。

←Under Armourの広告塔と化して
いる老生。このUSブランドは元
アメフト選手だった娘婿が愛用して
いて、ボクも白髪と薄毛隠しに
利用している。



photo by Ako

2017年4月10日月曜日

花の下「初孫」に酔う夕べかな

近所の酒屋からの帰り道、友人の奥さんとばったり。
「あらっ、いいものぶら下げているじゃありませんか。お花見ですか?」
こっちはニヤリと笑って、酒瓶を目の前にヌーッと突き出し、
「この紋所(銘柄)が目に入らぬかァ! 頭が高い。控えおろう!」
芝居がかって大音声。
「ん? このお酒って、そんなに手に入りにくいお酒なの?」
「そうだな、ふつう十月十日は待たないと手に入らないな
「…………?」
しばし沈黙がつづく。こっちは今にも吹き出しそう。
「十月十日? えっ、もしかして……お孫さん、生れたんですか?」
「にぶいんだよ、あんたは!」
二人して大笑い。
奥さんからは改めて丁寧な祝意が表された。ありがとね。

ボクがぶら下げていたのは山形の酒「初孫」。
いつもは「秋鹿」とか「隆」といった純米無濾過の生原酒ばかり
飲んでいて、「初孫」や「ひこ孫」とは無縁でしたが、
毎日、孫の百面相を眺めていたら、「初孫」でも飲んで、
孫の誕生を祝ってやろう、という殊勝な気持ちになった次第。
実際は、単に酒を飲みたいだけなのだが、祝い事にかこつければ、
女房や娘の目を気にせず、堂々と飲める。
酒飲みは狡賢いのであります。

誕生から11日目。
孫は日に日に〝いい男〟になってゆきます。
生れたてはクシャクシャの猿みたいで、今ひとつ感情移入できなかったのですが、
ジージに似た端正な顔立ちになるにつれ、可愛さがいや増しています。
まァ、何と申しましょうか、やっぱり孫は可愛いですな。←バカ

というわけで、近頃は時事巷談的な話題は脇に追いやられ、
もっぱら〝初孫〟一色のブログになっておりますが、
もうしばらくご辛抱のほど、平に……。

さて北朝鮮は相変わらず予測不能なキナ臭い動きを見せております。
米原子力空母「カール・ビンソン」も急遽朝鮮半島へと向かっています。
まだ一触即発という事態には至っておりませんが、米軍基地を置く
日本にあっては、不肖わたくしも初孫誕生に浮かれてばかりもいられない、
といったところでしょうか。「夜郎自大」が習い性になってしまっている
あの国にも、実際困ったものです。

今日は小学校の入学式。
可愛い、ピッカピカの一年生たちが着飾った両親に手を引かれ、
嬉しさと不安がない交ぜになったような顔でゾロゾロと行き交っています。
桜もちょうど満開。
四月は〝新人たち〟がいっせいに輝く門出の月です。
わが家の初孫もその新人の一人。
俗塵にまみれたこの世にようこそ!」といったところでしょうか。
頑張れよ、新人君。



←わが団地の入口付近。
向こうに見えるのは
「HONDA」国内本社の庭。
みごとな桜並木が見える。







2017年4月5日水曜日

取材する人される人

台東区・日本堤(通称山谷)にある「カフェ・バッハ」は
拙著『コーヒーに憑かれた男たち』(中公文庫)にも出てくる、
いわゆる自家焙煎コーヒー店の〝御三家〟の一つだ。
そのバッハに昨日、久しぶりにおじゃました。

店に入ると、懐かしい顔が笑顔で迎えてくれた。店長以下、スタッフのほとんどは
みな顔なじみで、すっかりご無沙汰のボクを快く迎えてくれた。バッハに来たのは
取材のためだ。いつもならボクが取材させてもらう側なのだが、昨日は逆で、
ボクが取材される側だった。

実は『メトロミニッツ』という雑誌がある。毎月20日、都内の地下鉄駅52駅の専用
ラックで配布されているフリーマガジンで、その4/20発行の号にボクが載るのである。
対談相手はFMラジオ放送「J-WAVE」のナビゲーター・渡辺祐(たすく)氏で、
およそ2時間ほど対談した。

カメラマンも含め、総勢7名がバッハに押し寄せたのだから、
店側としたらたまったものじゃないだろう。撮影している間は、
もろ営業妨害そのものであったが、寛大な店主やスタッフのおかげで、
ぶじ取材撮影を終えることができた。改めて深甚なる謝意を表したい。

バッハ店主の田口護さんは北京出張から帰国したばかり。
聞けば、中国の西太后ゆかりの地・熙和園(いわえん)の近くに、
バッハにそっくりな「黄金時代」という名のカフェを開くのだという。
その開店準備のため上海や北京を経巡っていたのだ。

日本国内にはいっさい支店を持たない田口さんだが、どうやら
中国で自家焙煎コーヒー店のフランチャイズ展開を指導するらしい。
もちろん経営するのは中国の人で、田口さんはあくまでコーヒー焙煎や抽出、
スタッフ教育などの技術指導のみ。田口さんの主要著書『田口護の珈琲大全
(中国語版)は中国や台湾でもバカ売れしていて、彼の地ではそれこそコーヒーの
〝神様〟と崇められている。講演会などしようものなら、数百人が押し寄せ、
アイドル並みの活況を呈するという。




←中国語版の『田口護の珈琲大全』
中国人たちはこの本をボロボロになるほど
読み込むのだという。中国、恐るべし。





ああ、それなのに、田口さんには悲しいくらい商売っ気がない。
ボクだったら「すわっ、ビジネスチャンスだ!」とばかりに
目をギラギラさせるのだが、そうした娑婆っ気がないのだから、
なるほど神様仏様なのである。

さて漫画『あしたのジョー』で有名な山谷地区は、大阪の釜ヶ崎と並ぶ
日本有数の寄せ場で、ドヤ街という日雇い労働者の木賃宿が軒を並べている。
その山谷にも高齢化の波が押し寄せ、ひところの熱気は鳴りをひそめているが、
それでも昼間っから酒をかっ食らって道端に寝ころんでいるおっちゃんたちは
健在で、かろうじて山谷の命脈を保っている、という感じだろうか。

宿泊料の安いホテルも多いせいか、山谷地区は十数年前から外国人旅行者、
とりわけバックパッカーたちの聖地になっているようで、
バッハの近くのビジネスホテルにも外国人旅行者が引きもきらない。
時代の波に洗われ、山谷も変わりつつあるようだ。

繰り返すが、ボクの対談記事が載る『メトロミニッツ』は4月20日に配布される。
都内の地下鉄主要駅には山積みにされ、おまけにタダなのだから、
御用とお急ぎでない方は、ぜひ手に取ってくださいまし。






←これがフリーマガジンの『メトロミニッツ』
という小冊子。

2017年4月1日土曜日

吾輩は♂である、名前はまだない

昨日……孫が生まれた。ボクにとっては初孫である。
可愛い突起物が付いているらしいから、たぶん♂なのだろう。
漱石の『猫』ではないが、名前はまだない。
候補がいっぱいあって、絞り切れていないのだ。

「赤ちゃん」とはよく言ったものだ。
ベッドでスヤスヤ眠っている、へその緒を切ったばかりの赤ん坊は、
血管が浮き出て見えるためか、ほんとうに赤い色をしている。
桐箱に入っているへその緒も、〝新鮮な切りたて〟は直径1センチほどで、
白くて太くて長い(←娘のそれは並み以上で、長さが80㎝もあった。臍帯血は難病治療に役立つというから、
少しは世の中のためになるかも)。これが乾燥すると干上がったミミズみたいになる。

孫が生まれた瞬間、自動的にというか半強制的に〝おじいちゃん〟
とか〝ジージ〟と呼ばれる身分になったわけだが、まるで実感がない。

埼玉の和光市から大田区の産院までは電車で約1時間15分。
車中、ボクは母子ともに健やかでいてくれ、と心の中でひたすら祈っていた。
ジジババの考えることは、そのことばかりで、他に何の望みもない。
ただただぶじの出産だけを祈っている。

出産したばかりの娘はいたって元気だった。
なんだか全体にふっくらしていて、俄然母親っぽくなってきている。
この娘が、つい最近までボクの膝の上にちょこなんと座っていた
あの無邪気な娘かと思うと、無常迅速の感もひとしお、といったところ。
20数年の歳月など、あっという間に過ぎ去ってしまう。

婿側のジジババにとっても初孫で、たぶん思いは同じだろう。
まだ猿みたいな顔をしているから、「カッワイイ!」というレベルには
達していないが、そのうち猫ッ可愛がりするだろうことは目に見えてる。

ボクはまだ若々しく、その気になれば渡辺謙みたいに若いネエちゃんと
〝火遊び〟をして、孫ならぬ実子を作れぬこともないのだが、
お相手をしてくれそうな奇特な🚺が、いっかな現れないのだからしかたがない。
だから、当面は〝孫〟でガマンするつもりだ。

ボクの血を引いた孫だから、長ずれば女どもを泣かせる〝色男〟に
なるに決まっているが、「……金と力はなかりけり」では困るので、
人並みか〝ほどほど〟を願うばかりだ。

婿は屈強な元アメフト選手、婿の兄もアメフト部出身で、
今は関西学院大アメフト部のコーチだ。婿の父親もアメフト選手だったから、
たぶんこの子もアメフトをやらされるだろう。

🚹はたくましいのが一番。
日陰のもやしみたいな腑抜け男では日本国を背負っては立てない。
あっちは柔道かアメフト、こっちは水泳か野球。どっちの側からも
激しく揉まれるだろうから、きっとたくましい日本男児が育つだろう。

ほんのついででかまいませんが、次回作はイヴァンカ・トランプみたいな
〝ジージ〟好みの色っぽい女の子をお願いします。



←漱石の最高傑作はこれ!