2018年1月8日月曜日

オンナは愛嬌、オトコも愛嬌

鈴木亮平ファンのわが女房は、NHKドラマの『西郷(せご)どん』を心から
楽しみにしている。日本人は茫洋としていて度量の大きな西郷隆盛と坂本龍馬が
大好きだ。が、ハーバード大学の日本史教室では、どちらかというと冷徹な
大久保利通や木戸孝允のほうが高く評価されているという。

俗に維新三傑は「情の西郷隆盛」「意の大久保利通」「知の木戸孝允」と呼ばれる
が、日本の近代化に最も貢献したのは大久保と木戸とされている。この二人が
政治家として圧倒的に優れていた点は正直で清貧だったこと。木戸が死んだときは、
財産が一銭も残っておらず、大久保にいたっては残された家族が葬儀費用も払えな
かったという。ひたすら蓄財に励む、どこかの国(Chineseの国?)の政治家どもに
爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいものである。

「漢(おとこ)は愛嬌こそ大事」
西郷はいつもそう思っていた。無欲と至誠から滲み出る分泌液が〝愛嬌〟の
本質だった。これは一種の風土性といえるものかもしれないが、薩摩人には
「冷酷」を甚だしく憎むところがある。すべてに対して〝心優しい〟というのが
薩摩男児の性根を形作っているらしい。換言すれば、「さわやかな人格である」
というのが薩摩武士の誉れなのである。

薩摩藩には「郷中(ごじゅう)教育」というものがあった。
いわゆる「二才頭(にせがしら)」というグループリーダーがいて、
年下の「小稚児(こちご)」や「長稚児(おせちご)」に対して、
折をみては〝真の武士の生き方〟を訓示するのである。

たとえばそれは「負けるな」「ウソをつくな」「弱いものをいじめるな」
といったことどもである。会津藩にも似たような「什(じゅう)の掟」という
ものがあった。例の「ならぬことはならぬものです」で知られる訓戒事項だ。

西郷どんは弱い者いじめがきらいだった。
「二才頭」だった西郷は卑怯・卑劣を何より憎んだ。
そして会得したものが「己を愛するなかれ!」という「無私」の境地だった。
自分を愛することがなければ物事がよく見えてくる。
西郷は「無私こそが人を動かす」と考えた。

ボクも西郷に劣らず〝イジメ〟がきらいだ。
なぜきらいかというと、皆で寄ってたかって一人の人間を攻撃するからである。
およそケンカというものは〝1対1〟でやるべきものなのに、徒党を組んで
弱そうなやつをやっつける。これほど卑怯・卑劣なことがあろうか。
西郷のめざすところの「さわやかな人格」に最も遠いところにある。
ボクは生来、〝徒党を組む〟〝人と群れる〟という行為を憎んでいて、
生理的に受けつけないというか蛇蝎(だかつ)のごとくきらっている。

人類創生以来、いやこの世に生きとし生ける物がある限り、
「イジメ」はなくならない。イジメによる自殺が起きるたびに、
「いじめをなくしましょう」という言葉が交通標語のように唱えられるが、
悲しいかな鴻毛のごとく虚しく宙を舞うだけで、だれの心にも響かない。

イジメは決してなくならない。
であるならば、いじめをなくすことより、いじめられても傷つかない
強い心を養うことのほうが大切だろう。いじめがいけないのではない。
いじめに負けてしまう弱い心、耐性のなさが問題なのである。
〝古(いにしえ)の道を聞きても唱へても 我が行(おこなひ)にせずば甲斐なし〟
郷中の規範となった〝いろは歌〟を心底噛みしめるべきだろう。

さて話変わって『茶の本』で知られる岡倉天心。
岡倉にはアメリカでは着物を着、日本では洋服を着る、というこだわりがあった。
ある時、弟子たちと一緒にボストンの街を歩いていると、
若いアメリカ人がこんなふうに日本人の一行をからかった。

"What sort of nese are you people ?
Are you Chinese , or Japanese , or Javanese ?"
(お前たちは何ニーズ? 中国人? それとも日本人? ジャワ人?)

岡倉は得たりとばかりニヤリと笑って、こうやり返したという。
"We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you?
Are you a Yankee , or a donkey or a monkey ?"
(私たちは日本の紳士です。あなたこそ何キーでしょうか?
アメリカ人? それともロバ? 猿?)

岡倉は福井藩出身の武家で、日本男児としての誇りを生涯失うことはなかった。
冷やかしやからかいを英語のジョークで切り返す――それだけの英語力と
機転のよさを有する政治家が、果たして今日の日本にいるかどうか。
ボクなんかクソ生意気な中国の王毅外相に対して、完膚なきまでやっつけて
やりたいのだが、いかんせん肝心の英語力と機知がない。
明治期の日本人の教養と気概はホンマにすごかった。






←岡倉覚三(天心)。写真は仏頂面だが、
愛嬌はあった。

2018年1月2日火曜日

オメデタ男の年頭雑感

新年明けましておめでとうございます。
本年も変わらずお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

さて、ふり返ってみれば、昨年はひどい年でした。
3月に初孫を授かり、お嬢吉三みたいに「こいつァ、春から縁起がいいわえ」
と舞い上がり、夏季はフランス人留学生をあずかって、刺激のない生活に活を
入れたものですが、秋風が吹くころから身体の一部が変調をきたしてきました。
右腕の上げ下げ、曲げ伸ばしがまったくできなくなってしまったのです。

それから病院通いが始まり整形外科、神経外科などで徹底検査。
出てきた病名が「頸椎症性筋萎縮症」と「腕神経叢(そう)ひきぬき損傷」の
二つでした。どちらも手術が必要で、医師曰く「難物」だと。

ボクはすでに膝がいかれていて、走ることができません。
そのため水泳で身体を鍛え、ムキムキの筋肉を誇っていたのですが、
その水泳もダメで、できるのはわずかに水中ウォーキングだけとなると、
生きている甲斐がありません。

ただでさえ加齢による油切れで、身体のあちこちが悲鳴を上げ、
大事なところも生殖機能がほぼ失われ(河岸をかえれば復活するという説も……)
いまや泌尿器機能一本やりとなれば、
   
     裾野よりふりさけ見たる富士の山 
          甲斐(嗅い)で見るより駿河(するが)第一

とはいかなくなって、これまた生きている甲斐がないのです。

話変わって、暮れに娘たちの幼かった頃のビデオを見返してみました。
正確にはビデオではなくDVD。大量にあったビデオテープを大枚はたいてDVDに
ダビングしてもらったのです。デジタル録画にしておけば、少なくとも経年劣化は
防げます。

保育園の頃の学芸会やら運動会の映像を見て、再び三度夫婦で大笑いしていた
のですが、その笑いの元のヨチヨチ歩きの娘が、昨春男児を産み、
今や堂々たるお母さんであります。見れば娘たちを応援しているボクや女房も、
当たり前の話ですが、めっちゃくちゃ若い。髪は黒々、肌もつやつやしていて、
動きまでもが俊敏です。

これはノロケですが、30年前の女房の、なんとまァ可愛いらしいこと(笑)。
(ああ、おれはこんな可愛い女に惚れたのか……)
自らの審美眼の正しさに安心したり、悦に入ったり……。

今日は次女夫婦と孫も来て、家族全員が揃います。
みんなで初詣に出かけ、全員の無病息災を祈るつもりであります。
可愛い女房と可愛い娘たち、そしてカッワイ~イ初孫に頼もしい娘婿……
腕一本が利かないからといって贅沢を言ってられる身分ではありません。

かの久米の仙人だって洗濯女の脛(はぎ)の白きを見て通力を失ったといいます。
河岸など変えずとも、心がけ一つでFunctional Age(機能年齢)は延びそうです。
『徒然草』(第八段)にもこうあります。

     世の人の心まどはすこと、色欲にはしかず。
                人の心はおろかなるものかな。

読者諸賢にありましても、Functional Ageをかぎりなく延ばされんことを祈念し、
年頭雑感とさせていただきます。お後が宜しいようで。






←10年ほど前の勇姿。大学後輩のドラマーは
現在プロで活躍。













←バンド名『Flying Fossils』
(空飛ぶ化石)の頃の熱唱。
この時代が最強メンバーか。






2017年12月17日日曜日

65歳の切なる願い

今年からお中元、お歳暮のやりとりをやめることにした。
女房のほうは今までどおり続けるつもりらしいが、ボクはあっさりやめた。
兄弟親戚、仕事関係、友人知人……毎年、時季が来ればそれなりのものを
みつくろい、「来年もよろしく」と心をこめて荷物を送った。
先方からもまた心入れの品が送られてきた。

生来、古くからの日本の伝統や慣習は尊ぶタチなので、
やめると決断する時は、さすがに迷った。品物を選ぶ手間だって
たいしたことはないし、金額だって知れている。続けるつもりなら
死ぬまで続けられるのだが、ボクは今年が〝潮時〟だと思った。
今年で満65歳。この歳になると、日本では〝前期高齢者〟と呼ばれるようになる。
年金受給者にもなる。それに今春、めでたや初孫(♂です)が生れた。
文字どおりの〝ジージ〟になったのである。

(あと何年丈夫に生きられるだろうか……)
高齢者の仲間入りを果たすと、こんなことまで考えるようになる。
せいぜい15年か、うまくすると20年くらいいけるかもしれない。
どっちにしろ、あっという間の月日である。

ところが、9月頃から身体が変調をきたすようになった。
なぜか右腕が利かなくなってしまったのである。
手指は動くのだが、肘の曲げ伸ばしができない。
腕にまったく力が入らないのである。
心配になり、病院でMRIなどあらゆる機器を使って入念に調べてみた。
結果、頸椎と右腕の付け根の神経叢に異常があることが分かった。
治すにはメスを入れるしかないそうだが、神経が複雑に入り組んでいる
場所だけに難しい手術になるという。

おかげで大好きな水泳ができなくなった。膝に故障を抱え走ることができない
ボクには、水泳が最後の砦だった。10数年来、仲間たちと続けている
キャッチボールもできなくなった。ギターも満足に弾けなくなったし、
箸だって持てやしない。
(65という歳は大きな節目の歳なんだろうか……)
だんだん気分が落ち込んできた。

(腕一本利かないくらいでゴチャゴチャ不平を鳴らすな!)
どこかで生来の利かん気が頭をもたげ、弱気を戒めている。
そうだよな、まだ左腕があるし……五体不満足を嘆くのは男らしくないな。

てなわけで、「65歳潮時説」がいよいよ現実味を帯びてきたのである。
お中元とお歳暮をやめたついでに来年から年賀状もやめることにした。
毎年、相手の顔を思い浮かべながら手書きでびっしり書いたものだが、
これも失礼させてもらうことにした。子供の頃から続けてきたことを
いきなりやめるのは正直つらいのだが、SNSの普及した時代である、
いざとなればメールだって電話だってある。またボクの近況ならブログ
Facebookで十分知れる。

もともと金銭や品物のやりとりを厭う性格である。
相手とは常に対等でありたいと思うあまり、
モノのやりとりでそのバランスが微妙に崩れるのが
生理的にイヤなのである。
そのことをご理解いただけたなら、中元・歳暮・賀状の類は
今後いっさいお構いなしに願いたい。なかには、
「いや、私は勝手に送らせてもらう」
とする奇特な方もおられよう。ボクとしては「お気の済むまでドーゾ」と
言いたいところだが、こっちからは金輪際返礼しないのだから、
ますます心に負担がかかってしまう。そこのところをご理解いただき、
ぜひともご再考願いたい。重ねてお願いする。


さて長々と弁解がましい抗弁をつらねてしまったが、
なにとぞお赦しを。要はメンドウ臭がり屋のワガママ男なのである。
9月頃に似たようなブログを書いたが、不徹底なため再度、ワガママな思いを
一文にさせてもらった。浅学菲才がゆえのワガママと、どうかご寛恕のほどを。






←9月頃、関係者に送ったハガキ
を再度掲載する。

2017年12月10日日曜日

ふるさとへ廻る六部は……

長女が昨日から泊りがけで来ている。
たったそれだけのことなのだが、妙に心楽しい。
何かおいしいものをご馳走してあげよう、
と主夫歴30年のボクはいそいそと買い物に出かけるのである。

人生にはある年齢にならないと分からない、
といった予定調和的な事実がいっぱいある。
「子を持って知る親の恩」という格言があるが、
親になって初めて分かること、孫を持ってふと気づくこと、
というのがたしかにある。

娘二人が独立して家を出たのはいつであったか。
もう遠い昔のことのように思える。
これが息子だと実家にはほとんど寄りつかなくなる、とはよく聞く話だが、
幸いわが家の娘たちは、折を見てはよく訪ねてきてくれる。
来れば先祖返りするのか、幼児の頃に使っていた言葉が家じゅうに飛び交う。
たとえば「父しゃん」「母しゃん」。わが家では今でも娘たちは
ボクたちのことをそう呼ぶ。呼び方は〝しゃん〟にアクセントがかかる。
他人に聞かせるのはいささかはばかられるが、
わが家に限って呼び交わすなら、それもいいだろう。



←長女と旅行。次女がいないが、たしか
アメリカに留学中か。みんなまだ若いなァ。





子は宝である。この世で何が大切といって「家族」以外に大切なものなどない。
子や孫のためなら親や祖父母は命を投げ捨てることだって厭わないだろう。
そんな命より大切な子や孫に事故や災害、あるいは病気で先立たれてしまう。
TVのドキュメンタリー番組だったか、東日本大震災で、女房子供を津波に
さらわれてしまった男が、無情な海に向かって「俺の宝物を返してくれ――ッ!」
とばかりに、愛娘愛息の名を声をかぎりに叫んでいたシーンがあった。
さぞ無念だっただろう。見ているこっちはもう涙でぐしょぐしょだ。
大切な人たちを喪い、たった一人取り残されても、
人は前を向いて生きてゆかなくてはならないのだろうか。
軟弱なボクだったらきっと心がポッキリ折れ、廃人同然になってしまうだろう。

ボクの母は6年前に死んだ。
川越の実家で長男夫婦と暮らしていたのだが、ボクが娘たちを連れて
いくと殊のほか喜んでくれた。心残りなのは、母と過ごす時間が
絶対的に少なかったことだ。一人で行ったときなんか、10分そこそこで帰って
しまったことがある。母は何も言わず家の前の通りまで送ってくれたが、
悄然と手を振るその姿はほんとうに淋しそうだった。

あの時、なぜボクは急いで帰ってしまったのだろう。
今になって後悔の念がこみあげてきて、胸が苦しくなる。
母親がどれだけ子供のことを愛しく思っているか、いっぱい話したがっているか、
あの頃はよく分からなかった。親のことよりまず自分の都合が優先された。
考えることは自分のことばかりだった。
「母さん、ごめんな」
ボクが娘と楽しいひとときを過ごせば過ごすほど、
亡き母に対する〝思いやりとやさしさの欠如〟がくやまれ、
深い自責の念に駆られるとともに、悔悟の涙に暮れてしまう。
「母さん、ごめんな。もっとそばにいてやればよかった」

母はたくましい女だった。貧しさを厭わない女だった。
戦中・戦後を息せききって駆け抜けた肝っ玉母さんでもあった。
そんな母も晩年、軽い認知症を患ってしまった。
それでもボクを前にすると、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「母さん、いつかまた会えるよね。その時は、ずっとずっと一緒にいるから……」




←画家・小林憲明さんが描く『ダキシメルオモイ』。
東日本大震災で命を落とした母と子の思いを麻の画布に
描いている。わが街・和光市の中央公民館でも展覧会が
開かれたので見に行った。この世で信じられるたった
一つのものはmotherhood(母性愛)であります



2017年12月8日金曜日

首吊りは気っ持ちい~い!

「いよいよ首が回らなくなったんだって?」
「年が押し詰まってくると、何かと物入りで……おいおい、違うだろ。
頸椎が損傷していて腕が利かなくなってんだよ」

団地内で、古くからの友達Aさんと偶然会ってしばし立ち話。
先だって彼の奥さんをお茶に呼んで、
亭主の悪口をさんざっぱら聞かされたばかりだ。
「頸椎の矯正には首吊り療法がいいらしいよ。簡単な器具を首にはめて、
ひもで引っ張るんだ。おれの場合は腰痛だったけど、それにも効くって言うんで
何回か首を吊ったことがある。気持ちいいんだよね、あれ。だまされたと思って、
いっぺん吊ってみたら?」
年の瀬に首を吊る吊らない、などと立ち話にしてはかなり物騒な話題である。
それを大声で話すものだから、すれ違った人たちも、どこか不審そうな顔つきで
ふり返っていた。知り合いの奥さんは笑っていた。

「首吊りのほうは少し考えさせてもらうよ。それよりそっちはどうなの?
奥方からはずいぶん冷遇されてるみたいだけど(笑)……心が折れそうになったら
声をかけてね。相談に乗るから」
「お互い、不幸な身の上だもんな。
いっそホントに首をくくったほうがいいかもしれないな(笑)」
笑って別れたが、Aさんの背中にはいやでも孤独の影がさしていた。
首吊りの話題はまずかったかもしれない。

いよいよ極月(ごくづき)といわれる12月。師走ともいうが、
落ちぶれて姿のみすぼらしい浪人を〝師走浪人〟と呼ぶのだそうだ。
ボクなんかさしずめ〝師走老人〟ってとこか。落ちぶれたとは思わないが、
着るものにあまり頓着せず、同じ服を繰り返し着ているから、
傍から見ると、着たきりスズメに見えるかもしれない。
そのスズメが、首を吊る吊らないのと大声で話しているのだから、
妙に切迫感がある。

無常迅速というが、1年なんかあっという間に過ぎ去ってしまう。
初孫ができたと思ったら、もう立派に匍匐(ほふく)前進を繰り返しているし、
離乳食だってガッツリ食べている。娘婿は元アメフト選手で100キロ超の
巨漢である。この孫も末は父親に倣ってアメフト選手を目指すのだろうか。

3月に孫が生まれ、「こいつァ春から縁起がいいやァ!」と喜んでいたら、
9月頃から右腕に異変が起き、いまやすっかり使い物にならなくなってしまった。
スポーツ大好き人間のボクとしては、無念この上ない。
つい気分も落ち込んでしまいそうになるが、
それでも踏ん張って、何事もなかったかのように明るくふるまう、
というのがボクの流儀であり奥床しさ(笑)。

時に哀れっぽい姿で、人妻の胸を〝キュン〟とさせることもあるが、
あまりに内向きで湿っぽい口吻は自分らしくない、とボクは思っている。

    Tomorrow is another day.

明日は明日の風が吹くさ、と常に前向きに生きてゆけば、
そのうちいいこともあるでしょ。



←映画『風と共に去りぬ』のヒロイン、
スカーレット・オハラの最後のセリフがこれ。
Tomorrow is another day!








2017年12月2日土曜日

What is essential is invisible to the eye.

You don't know what you have until it's gone.
失ってみて初めて何が大切なものだったかが分かる。

いま、この言葉をしみじみ噛みしめている。
失うものは多々あるだろうが、大切に想う人を病気や事故、
災害で突然喪くしてしまう、などというのが一番こたえるかもしれない。
ボクの飲み友達のYさんは、去年の夏、最愛の奥さんをガンで亡くしてしまった。
その嘆きようは尋常一様ではなかった。

ふだん、当たり前のように身近に転がっている幸せ。
しかし、あまりに当たり前すぎて、そのありがたみに多くの人は気づかない。
ボクの愛読するサン=テグジュペリの『星の王子さま』の中に、
キツネの言葉としてこんなセリフがある。
What is essential is invisible to the eye.
(大切なものはね、目に見えないものなんだ)

ボクは今、右腕が利かない。
頸椎の一部の骨が異常に肥大し、神経根を圧迫しているものだから、
運動神経の信号回路がプツンと遮断され、右腕が動かなくなってしまった。
治すには頸椎の骨を削り、さらに骨盤から採取した腸骨を移植しなければならない。
神経回路が集中する頸部だけに、手術の難度としてはけっこう高いらしい。
担当医もその成否は「やってみないことにはわからない」と言葉を濁している。
これではますます迷いが深まるばかりだ。

「左の腕がまだあるだろ。あるだけマシだ」
と言われれば、たしかにそうで、世の中には五体不満足な人がごまんといる。
脚や腕がなくたってパラリンピックで走ったり泳いだりしている人がいるのだから、
右腕が利かないくらいでメソメソするな、と言われれば言葉がない。

(もう一生泳げないのだろうか……)
そう思うと、映画『ウォーターボーイズ』のモデル校の、それも水泳部出身者
としてはけっこう辛いものがある。シンクロこそしないが、膝の故障で走れない
ボクにとって、水泳は唯一残された得意スポーツだった。
(この先、孫に泳ぎを教えたり、キャッチボールすることもできないのだろうか)
それにギターだって、もうまともに弾けやしない。
何の因果なのか、このままの状態ではつまらぬ老年期になり果ててしまう。

「青年」という言葉があるのなら、「老年」はむしろ「玄年」と呼ぶべきだろう。
青春、朱夏、白秋、玄冬……玄冬の「玄」というのは、ただの真っ黒ではない。
暗くて黒い中にも、かすかな赤みが差していて、そこから何かまた新しいものが
始まる、といったニュアンスなのだという。「幽玄」とか「玄妙」という言葉が
あるが、そのイメージは荒涼たる闇といったものではない。深く艶やかな漆黒、
といった感覚だ。

今は半分身障者みたいなあんばいで、へたをすると廃物になりそうな気配だが、
〝玄年〟を迎えたボクとしては、深く艶やかな老境に入っていけたらと思う。

      子どもを叱るな 昨日の自分
      年寄り嗤(わら)うな 明日の自分







←今年のステージが最後になってしまうかも。








2017年11月10日金曜日

中国は「大国」ではない

韓国の前大統領はパクパク・クネクネという名前だった。外国の首脳たちに、
体をクネらせながらすり寄り、パクパクと日本の悪口を言いふらすのが得意だった。
「告げ口外交」と呼ばれた。そのクネクネは歴代大統領が皆そうであったように、
いまは鉄格子の中に入っている。親の因果が子に報いたのかどうかは知らないが、
人間、真実から目をそらしウソばかり言いふらしているとこんな憂き目にあう。

次のムンムンとかという大統領は、米国のトランプ大統領夫妻を招いた晩餐会で、
竹島で密漁したエビを「独島エビ」などと称して、食卓にのぼらせた。日本の領土
である島根県の竹島は1952年1月18日、ボクの生まれるちょうど1カ月前に韓国に
強奪された。時の首相李承晩が、日本海に勝手に領海ラインを引き、
この線からこっち側は韓国領だかんな!
と、図々しくも宣言したのである。悪名高き〝李承晩ライン〟がそれである。

「平和、平和」とお題目のように唱えていれば恒久平和が実現できるという、
ありがたい平和憲法が施行されて、わずか7年後の出来事だった。「平和憲法」
が持っているはずの念力だか通力だかの魔除け効果はまったく発揮されなかった。
狡猾にも韓国は日本の自衛隊がまだ創設されていない時期にこの侵略を敢行した。
GHQも見て見ぬふりである。悲しくも自衛隊は1954年7月1日に産声を上げた。
その昔、社会党のおバカさんたちは〝非武装中立〟などと夢みたいな公約を掲げ
ていたものだが、竹島が示すように軍事力を持たない丸腰国家は、こんな辱めを
受けてしまう。一国の平和と安全には強力な軍事力が欠かせないのだ。

さてムンムンの晩餐会には元慰安婦も出席した。外国の首脳をもてなす公式晩餐会
に悪びれずに売春婦を招く国がいったいどこにあろう。もっとも韓国は輸出で
食っている国で、女子ゴルファーだけでなく売春婦も大量に輸出している。
おそらく世界一の売春婦輸出国ではないだろうか。

たとえばアメリカには今、3万人くらいの韓国人売春婦がいるといわれている。
2006年、アメリカの保健福祉省が同国内の外国人売春婦の国籍を調べたところ、
1位は韓国で23.5%、2位はタイで11.7%、3位はペルーで10%という結果だった。
実に4人に1人が韓国人だった。韓国の売春婦は貧しかった時代だけでなく、
豊かな時代にあっても大活躍なのである。であるならば、最大の輸出品目の
ひとつである売春婦を公式晩餐会に招いたとしても少しも不思議ではない。

韓国では日本軍の強制があって慰安婦にさせられたのだ、という➡「ウソの物語
が国策として流布させられているが、このウソによって元慰安婦たちがどれだけ
救われたか。それ以前は「野蛮な日本人に身体を売って儲けてきた不潔な女たち」
と見下されていたのに、一転して、「そうではなかった。日本軍に強制され、
仕方なく慰安婦になったんだ」となれば、堂々と胸を張って生きてゆける。
元慰安婦たちが官製のウソ話に口裏を合わせるようになったのはそれからだ。

一方、トランプ大統領の3番目の訪問国・中国でも公式夕食会で、なにやら
怪しげな料理が出された。南シナ海に生息するハタ科の高級魚スジアラで、
この魚を煮込んだ料理がさりげなく供された。
南シナ海は中国のものだかんな!」
と、料理に託して抜け目なく自国領土だと主張したのである。

韓国では「独島エビ」、中国では南シナ海の「高級魚スジアラ」。
和やかな晩餐会のメニューとはいえ、どの料理にもちょっぴり政治的な
味つけがほどこしてある。肉マンみたいな顔した中国の習近平主席の狙いは、
中国こそアジアの盟主で、世界第2の大国である、とアメリカにアピール
することだ。中華大帝国の夢よもう一度、というわけか。
でも中国って、肉マンおじさんが自慢するほどの大国なのかしら?

作家の曽野綾子女史がうまいことを言っている。
中国は「大国」ではない。でも人口は13億人で国土面積も大きいから
「小国」でもない。だから「中国」なの

←高級魚といわれるスジアラ。
多少スジっぽいがアラ煮にすると
うまいらしい。




写真提供:八重山毎日新聞社